そんな、伝教(デンキョウ)ですが、その言いたかったことは何だったのでしょう。それは、また有名である、日蓮大聖人によって語られています。
日蓮大聖人は、釈尊、天台、伝教(デンキョウ)、それから、彼自身についても、インド、中国、日本での法華経の師匠であると自覚されています。日蓮大聖人によって伝教(デンキョウ)のことが語られていますが、それでは、伝教(デンキョウ)本人は、天台のことは、どのように考えていたのでしょう。
それは、伝教(デンキョウ)が46歳の折に記した『依憑集』の中でこのように語られています。
「今吾が天台大師法華経を説き、法華経を釈すること群に特秀し、唐に独歩す。明らかに知んぬ、如来の使なり。讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」
こちらの「依憑集」の文章もまた、日蓮大聖人により、「報恩抄」「大夫志殿御返事」においても引用されています。
伝教(デンキョウ)によれば、天台は如来からの使いであるとのことで、天台を讃めば福を得て、謗れば、罪を無間に開くと語っています。伝教(デンキョウ)は、この天台の教えに従い、法華経が最勝であるとしました。
すなわち、法華経を弘通するということに大変なプライドを持っていたことがわかります。伝教(デンキョウ)の著している「法華秀句」においても、「浅きを去つて深きに就く」という言葉には重いものがあると語られています。そして、その深い法華経を持つということは難しいことであると語られています。
「法華秀句」で、伝教(デンキョウ)は「天台に相承し」と語っています。「相承」というものは、そのようなもので、本人たちに直接、会わなくても理解できることなのだと言っています。
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